をぐら昆布系友会

久右衛門は、時代の動きを敏感にキャッチして、天性の商才と努力によって、短期間で店の地盤を築いてゆきました。明治17年(1882年)、養子の松原久七が2代目を継承。この頃には昆布は既に「岩おこし」と共に大阪名物の一つとなっていたようです。
さらに、明治22年(1887年)、久七の死去にともない息子の松原新次郎が2代目久七を襲名、小倉屋総本家の3代目当主となりました。

小倉昆布

総本家の隆盛と共に歴代の小倉屋に奉公してのれん分けを認められた者たちが少しずつ増えていきましたが、別家したものは主家の伝統を受け継ぎ、「のれん」に恥じない商いをすることが主家への恩返しでした。
そんなのれん分けを許された一人に、居内万蔵がいました。
後にマルヤナギの創業者である柳本一夫がお世話になりのれん分けをしていただくことになる「小倉屋居内」の創業者です。

小倉屋総本家を出発としてのれん分けを許された別家は明治36年「小倉屋会」を結成、大正12年に「をぐら昆布系友会」と改称し、小倉屋昆布創業者をはじめとする諸先輩の功績に敬意を払い感謝の念を持ちつつ、小倉屋の信用と名声に恥じない高品質の商品の提供を続け、今日に至っています。

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